夜は俎上

 魚の字は棄てたんだがなァ。そう思わないこともない。いまの俺はまるで俎上の魚だった。
「こら、笑うな」
 そう窘める犬王も笑っていて、片方の指を離してしまった。それじゃあいつまで経っても終わらないので大人しく唇を閉じる。するとまた触れてくる。俺の顎をとらえる指はそのままに、犬王は逆の手の食指で紅を差す。

 最初は単に、より見栄えがする形(なり)になろうとして始めた。ほどなくして、舞台の一部としての調和が気になりはじめた。ならば、と犬王は言い出して、俺が身につける色を選ぶようになった。そして選ぶに飽き足らず、手ずから俺に纏わせるようになった。

 犬王の指は執拗だ。
「綺麗か」
「まだ」
 塗る指が離れても、顎を支える指はしばらく離れてくれない。

 犬王曰く、塗った紅が乾くまで見ていたいのだという。また曰く、上等な紅は乾いたときに戴く輝きが綺麗なのだと、輝かせるためには膚が透けぬように丁寧に塗り重ねる必要があるのだという。
 これらの言い分を疑ってはいない。疑ってはいないが、あやしいとは感じている。それは笹紅の輝きの実際を見る前に盲いたからじゃあない。紅が輝きを放つまでの時間というのが、犬王の気分に左右されているからだ。信用ならない。
 こっちが口を噤んでジッとしているのに「乾く気配がないな、吐息で湿るのかもしれない」と言いがかりをつけられたことすらある。そのときは、新天地で友有座を披露するため何日も慌ただしくしていた挙句の日、ようやく久方ぶりに腰を据えて二人きりになれた短い時間だったものだから、まあ、“言いがかり”とはいえ悪くはなかった。が、それを表立って口にする訳にはいかない。

「綺麗か」
 だから俺はこうして問うている。今はふたりきりで弦をかき鳴らしたり足を踏み鳴らしたりしているだけではないからだ。
 人が集まることでしか実現できないことはあり、それができるようになった。僥倖だ。わかっている。わかっているから、今この短いひとときは短いひとときの儘にする。今でないことは今でなくていい。たとえば火のない宵闇、茵を俎板と見紛う詭弁で調理されてもいいのだし。
 またつまらないことを考えたが、今度は窘められはしなかった。
「綺麗だ。行こう」
 犬王の指が、熱が離れる。離れてもなお伝わる距離に移る。
 開けっ広げの舞台とはいえ、それでも契機としての帳はあがるのだった。はじまっている物語も語られなければ語られない。在るだけでは死に体の物語を、奮い立たせる熱が此処に有る。

(了)